シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

今の立ち位置

気持ちの整理も少しは出来て、実生活で変わった自分を感じるときもあります。
 
 パート先で、モラハラ店長や裏店長が不機嫌だったり、理不尽な言動をしていても、
 自分に火の粉が降りかからなければ、気にしないでいられる度合いが増えた。
 不愉快には違いないし、気もなるけど、自分のせいのような気がして、落ち着かなくなる
 ことは殆どないです。
 
 相手の気持ちを気にしすぎて、自己主張できないことが多すぎたけど、
 それも少しずつ減ってきました。
 店員さん相手とか、本来なら、礼儀を守っていれば、自己主張OKな場面でも萎縮してい
 たけど、最近は、練習と思ってがんばっています。
 お化粧品売り場で、お勧めをお断りするとか・・・その程度ですが。
 
 親との絶縁を継続しているのも大きな頑張りの一つ。
 
でも、やっぱり、どんよりしたウツの霧に覆われています。
 
ACの人や、トラウマのある人の回復過程・・・
 ・安全の確保(被害が再発生するかもしれないのに、心に向き合うことなど出来ません)
      これは、親との付き合いを絶ったし、親と絶縁することを夫も了承しているし、
      できているかな?
      体調は悪いけど、生活が滞るほどではないし、生活するお金もあります。
      多くはないけど、親とのことを話せる人もいるし、
      都会なので、親と疎遠なことを知っても干渉する人は殆どいないのも
      私にはありがたいです。
 
 ・事実を認める。現実を嘆く。あったことを把握する。
 
 ・新しい物語の構築
   辛い経験にも、辛いながらも意味があったと思えたら、乗り越えやすい。
 
  ・・・
 
と続くのですが、どうも、
   ・事実を認める。自分の体験を嘆く。事実を把握する。
 
これが上手く出来ていないのでは?と感じる今日この頃。
 
心の中に、どうしてもこんな気持ちが残っています。
  
 虐待はあったけど、そんなにひどいレベルではなかったよね。
 
まだまだ、自分がかつて感じた心の痛みを上手く自覚できずにいるんじゃないか?
被害を過小評価しているんじゃないか?
 
レベルの問題じゃない!
虐待で死ぬ人もいるから、生き残った人はたいしたことない、のか?
 
大勢が亡くなる事故に巻き込まれて、自分は怪我をした。
痛かったし、治るのにも時間がかかったし、今も鈍い痛みが残って、完治してはいない。
そんな時、「亡くなった人、もっとひどい怪我をした人もいるんだから、
        あなたの怪我や痛みは取り上げるに当たらない」 と言われたら?
それは違う!とすぐに思える。
確かに、軽症だったかもしれないけれど、「事故の被害者」であり、「今でも痛みを抱えたまま」なのだから。
 
心の痛みも、虐待があった(と本人が自覚した)時点で、内容は関係ない。
「虐待があった」と判断する根拠にした心の痛みは、私の性格から来ているのかも知れない。
それも、今の段階では関係ない。
まずは全ての辛かったことを記憶の箱から取り出すところから、だから。
それに、一つ一つの事件を、虐待の度合いで分けて分類しても意味はない。
 
「自分の気持ちを不当に無視された」
「親の都合を優先させることを強要された」
「いわれのない嘲笑を受け続けた」
 
一つ一つの事件は、虐待のベースにあるこういう親のあり方の現れに過ぎないから。
 
”子どもの健全な心の成長を考えた場合の不当な待遇下”に長期間置かれ、
逃げることも出来なかった。
これが私が受けた虐待だから。
 
「自分はそんなにひどい目にはあっていない」と思いたかったのだとおもう。
まだまだ現実逃避に囚われていたのかな。
 
思い出すのも辛いけど、また一つずつ記憶の糸を辿ってみよう。
ますます奈落に落ちそうだけど。