現実では付き合いを絶って、いい状態に落ち着いている親との関係。
でも、気持ちはそうは行きません。
考えると、暗くなる。
なぜだろう?
過去の彼らの言動に、果てなく腹立ちが湧き上がるのもありますが、
突き詰めれば、「予期不安」です。
・今後、親の体調が悪くなったりすれば、うざい接触があるに違いない
その接触を拒否すれば、姉との関係もおかしくなるかも
・親の葬式にすら出るのがいやな気持ちなのに、
何らかの関わりを持つなんて(持たざるを得ない状況になるなんて)耐え難い。
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そもそも彼らは、私が困った時にも突き放すだけ、嘲笑するだけで、
助けてはくれなかった。
自分たちは助けられて当然と思っているのが腹が立つ。
と、実際には何も起きていないのに、今後を考えて、暗くなったり、イライラしたり。
こんな非生産的なことはやめようと何度も誓ったではないか?
誓いが守れていないので、再び自分に宣言。
起こってもいないことで思い悩むのは止める。
義母のように、自分の親より早く死ぬかもしれないし、
以前手紙に父が書いていたとおり、
「娘達に迷惑かけないように、施設に入る」かもしれない。
(施設に入ってくれれば、その後の体調変化などは施設がメインで仕切ってくれ
るのでかなり楽。親に直接接触しなくていいのなら、施設の人と連絡を取るくら
いは出来るかも)
最近ニュースで、「100歳以上の所在不明者」の報道が続いています。
年金詐取は論外として、単に「所在不明を放置しておいた」なら、仕方ないかな。
TVゲストのコメントや、「街の声」は、「家族のことをこんな形で放置するなんて信じられない」と言っていました。
「そんな風にお気楽に思える幸せな人が世の中多いのね」が正直な感想。
ホームレス支援などをしているNPOの方は、
「ホームレス本人が、家族との接触をしないでくれと言ったり、
家族に遺骨の引取りを拒否されたりする・・・それまでの関係が背景にあるから」
という趣旨のことを言っていました。
現実はこれです。
一律に、「身内を放置するのは悪」とするのもおかしいし、
「身内だろうが、他人のことは関知しないのが当たり前」も寂しすぎる。
やっぱり、”生きたようにしか死ねない”ってことなんでしょうね。
それは、希望に反して、配偶者が得られなかったり、子どもに恵まれない場合もあるだろうし、運悪く騙されたり、時代の渦に巻き込まれたりもあるので、「個人の責任」ではない部分も多いと思います。
私が、ねじれた親子関係の後遺症で悩むのも、「こういう家に生まれたから仕方ない」部分なんだろうな・・・
でも、今後のことは自分で選べる。
まずは、「付き合わない」を死守して、一日、一日を過ごしていく。