シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

それは、それ

親との関係の解釈で、上手く折り合いの付かない部分があり、手芸の宿題をやりながら、ずっと考えていました。
 
 楽しかった思い出とか、
 あれは(私が望む)親らしい愛情だったんだろうな~という記憶や、
 ”彼らなりの愛情はあるようだけれど、その表現方法がおかしいみたいだ”という現実などなど。
                  これらの置き所に困っていました。
 
これらを理由に、彼らと付き合い続ける気持ちは、今はありません。
「当面、自分を守る為にも、年賀状だけの付き合いにする」のは納得済みの決定事項。
その決心にゆらぎもありません。
 
が、少なくとも私が子供のときのことは、彼らが悪意があったわけではないとか、楽しいこともあったのも事実なわけで、それをどうすればいいのか、宙ぶらりん。
 
かつて感じていた、「親を捨てる罪悪感」とも違う感じ。
 
結論は、          それはそれ
 
 
 
 (彼らなりに)大事に育てたからと言って、嘲笑していいわけじゃない。
 嘘をついて、謝らなくていいわけじゃない。
 私の気持ちや都合を完全に無視して、自分のやり方を押し付けていいわけじゃない。
 私が大事にしているものを、軽んじて、笑い飛ばす権利はない。
 
彼らは、私の忍耐の限界を超えたので、私に去られたのです。
私を貶めたり、不当な支配をして、その場の自分のプライドを保ったり、不安を払拭するのに利用した代わりに、
 老後のいざと言う時に、手助けしてもらう・・・”親孝行を受ける権利”
                                     を自ら放棄したのです。
 
いい思いでは、それはそれとして「ありがとう」「楽しかったな」と置いておけばいい。
それと、今後の彼らとの付き合い方は別問題。
 
私がわんこを大事に世話しているからと言って、ストレス解消のために苛めていいわけじゃないのと一緒。
私が不当に苛めたせいで、わんこが家出しても、
 「あんなに世話してやったのに!」
なんて思うのはお門違い。
 
そうやって置き換えると、分かりやすい。
それは、それ。 全く別の話。(彼らにとっては一つの話のようですが)