シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

拒否

親の態度に新たな名前が付きました。
 
             拒否
 
子どもをダメにした親たち という本より
著者はアメリカで1970年前後にソーシャルワーカーとして精神科病院で働いていた人。
ご本人の経験から、本の終わりに「子どもをダメにした親」のタイプを幾つかあげています。
 
自分の親に当てはまると思ったのは・・・
 
(父親)
 「自分の子供に問題があるはずがない。」
 「グズグズいうのは(母親が)甘やかしたせいだ」
 「怠け癖だ」という見方で、子供を拒否する。
                 (中略)
 自己中心の小児的人物ではないかと思われる場合が多い。
 
   多かったのが、「なぁ~んね、お前は」と、嘲笑するだけで、
   子供の抱える問題や悩みと向き合って、建設的なアドバイスをしたり、
   一緒に解決策を考えるような前向きな態度や、優しいいたわりや励ましはなし。
 
   自分がどんなに頑張っているか、優れているかを酔っ払いながらとうとうと
   語るだけで、参考にもならない。
 
   問題そのものは放置。
 
(母親)
威圧的、またはあからさまに拒否的なタイプ
 ・独占欲、支配欲。自分の意のままになるのは子供だけ、というところがある。
 ・「弱い者」に対する嫌悪感からの拒絶。
 
   自分のイメージ・許容範囲内で子供が育つこと以外受け入れられない。
   ある程度その幅があったので、何とか壊れずに大人になれたのかな、と思う。
   子供の悩みやぶつかっている問題に一緒に向き合おうとする姿勢はなし。
   心理的に負担を掛けられるのはお断り!
   (表面的な世話はちゃんとしているから、私は”合格点の母親”の自己評価)
 
 母は、自分の悩みは子供の私にも聞き役をさせていました。   
   (父の浮気やモラハラぶり、舅・姑との軋轢など)
  自分は弱い自分を受け入れて、話を聞くことを要求するのに、
  私の弱いところは拒否!でした。
    軽く聞き流せる、友人関係のことなどは聞いてくれましたが・・・
    問題が大きく、助けが必要なときほど、「自分で何とかしろ」と黙殺しました。
  (話しても、「ふ~ん」と聞き流して、家事を始めたりする)
 
両親とも、自分にとって、心理的な負担のあまりないことなら、親らしく対応して、
「自分たちは子供のことを真剣に考えているいい親」していました。
それが助けになったのは事実だし、壊れずに済んだのはこの辺かも。
ただし、成人後、親が自分をどう思い、扱うつもりなのか? の判断の時は、
混乱の元でした。
 
 
親には 拒否・拒絶 されていたんだ・・・
困った時、せめて話を聞いてくれたら・・・と頼っても、いつも、
 
 ・お前の努力・気遣いが足りない
 ・この程度のことは世の中沢山ある
 ・末っ子で甘やかされて育ったせいか、現実認識が甘い
 ・我慢・工夫だよ
 
など、決め付けられるだけで、優しく励まされたことない。
   小さなことなら、話を聞いてくれることもあったし、
   優しい時もあったので、余計混乱していました。
   このネタに関して親がそう言うってことは、そんなに私が悪いのかな?って
   思ってしまって。
 
私のことは嫌いなの? 憎んでるの?
トラブルがあると私を責めたり、嘲笑したりするのはナゼ?
 
  答えは、 拒否 だったんだ。
 
父については、気持ちの整理を始めた当初から分かっていました。
  3,4歳の時ぐずっても、怒られ、うっとうしい!とあしらわれた。
  自己陶酔の説教ばかり。
  
母については、”わざわざ”してくれたことも多かったし、と、まだ愛情があると信じたかった。
私が本当に気持ちを汲んで欲しい時は、毎度気持ちは無視され、自分のやり方をごり押しするだけなのは、  拒否  されていたからなんですね。
 
これまで散々考え、分かっていたことですが、こうして名前が付いて、
納得せざるを得ない感じです。