シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

乖離の減少に向けて

今の生活は、どこか嘘・偽物で、 どこかに本当の自分を生かせる場所がある・・・
  何て思いながら、過ごしている人も多いらしい。
 
自分は、現実的だから、これは当てはまらないよ、と思っていました。
どうやら、違うらしい。
 
今になると、現実と、自分の認識の間には、かなり大きな乖離があることが分かってきました。
 
おしゃれもその一つ。
前に書いた「世間の半分以上の人は、カタログから抜け出してきたようなおしゃれな格好をしている」気がしていたこともその一つ。
   これも、実際には、そうではないことは以前から知っていました。
   でも、「情報として自分で見て、受け取ったこと」と、「無意識に捉えているイメージ」は
   全然違っていました。
   現実は、「カタログや雑誌に載っているようなお洒落さんは多くて1割」だし、
   卑屈にならなきゃいけないほど、わたしがみっともないわけでもない。
   でも、外見については、親の刷り込みで、劣等感いっぱいです。
   父には、「どんなブスになるか心配しとった」と言われたし、
   母には、「女性らしくおしゃれして、男性にアピールするのは、軽蔑するべき行動」
    「年頃なんだから、もうちょっとおしゃれしないと。」
    と矛盾する指令をされて、混乱しまくり。
 
 
大掃除にしてもしかり。
   主婦向け雑誌や、知り合いの主婦との世間話からも、
   「大掃除=日頃はついさぼる部分まで丁寧に掃除すること。
           (可能なら、ついでに不用品の処分も)」
   が、多くの人の言う「大掃除」と認識しています。
 
   私の無意識でイメージしていた大掃除は、
   「私ごときにはとても出来ないような、高度な技術や精神力を要する特別なお掃除を
    家中くまなくやること。」
   じゃあ、この”特別なお掃除”って何? と聞かれても、答えられない。
   
   「自分はちゃんとやれない駄目な人」という前提でみていただけのようで、
   ”雑誌で見た大掃除と、私の大掃除、全然レベルが違う~”ではないです。
 
 
極論すれば、何を着ようが、何をしようが、私の存在そのものが「駄目駄目ちゃん」なのだから、何をやっても、レベルの低い、恥ずかしいままでしかいられない・・・
                と、魂に染み付いていたのです!   
 
 毒親の呪い、恐るべし、です。
 心の一番深いところにこんな感覚がどっしり根を張っているので、
 それを否定するどんな体験をしても、どんな情報を仕入れても、
 自己否定が無意識に沈んでいた間は、感覚は修正されなかったのです。
 
 表面的には、「私も捨てたもんじゃないかも!」と思えることがあっても、
 根深いところでは、「お前は駄目だ。」と否定の声が響くばかり。
 
それなりにやれている現実と、自己否定・劣等感の乖離だったのかな・・・
「そこそこやれている」体験をして、自分を肯定して受け入れたいのに、
魂がそれを受け付けない。そのせいで、妙な違和感や乖離感覚に付きまとわれたのかも。
 
やっと、根拠のない自己否定感をはっきり自覚して、現実に合った感覚への修正が始まったところなのかな。
この”妙な違和感”が自然に消えるといいのですが。
まずは、この奇妙な違和感の存在を次々はっきり自覚し始めているので、
いい方向に進んでいるのは間違いないです。・・・ということにしておこう。