シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

彼らの謝罪・ねぎらいの真意

私が混乱することの一つが、親の謝罪やねぎらいです。
 
愚痴を聞いてもらって悪いね。
 
姪の子守を手伝ってくれて、ありがとう。
 
(墓を見に来いとしつこく言って)ちょっとラブコールが過ぎたみたいやね。
 
 そう言うくせに、その後も態度はまったく変わりません。
 
「愚痴を聞いてもらって悪いね。」と言うなら、
  たまには私の弱音も聞いて、私がそうしたように、やさしく励ましてくれると期待する。
 
「姪の子守を手伝ってくれて、ありがとう。」と言うなら、
  姪の子守のときに、自分で出来ることは出来るだけ自分でやって、
  私に仕事を休めとか、私の家庭の夕食の準備もあるのに、遅くまで、
  母といっしょに姪の世話をしろとか言わないだろう、と思う。
 
「(墓を見に来いとしつこく言って)ちょっとラブコールが過ぎたみたいやね。」と言うなら、
  こちらの状況などを良く確認してから、再度声をかけるよね。
 
そう思う、私の方が心が狭いのですか?
見返りを期待する、厚かましい奴なのですか?
 
口では謝ったり、ねぎらったりするのに、次の行動には結びつきません
 
 
      どうして、言葉と行動が連動しないんだろう?
 
とっても不思議だったのですが、謎が解けました。
 
私の親のような自己愛性格の人は、自分が変わる気は全くないそうです。
謝罪やねぎらいも、挨拶程度の意味しかないのです。
ネットでこの説明を見つけて、思わず納得。
 
通りすがりで体がぶつかって、反射的に「すみません」と言う。
その程度のこと。