シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

母の嘲笑と心の穴

父が、自己愛性格で、他人と気持ちを通じることが出来ないのは分かっていました。
少なくとも、大学生の時には気付いて、違和感を感じていました。
それもあって、父との関係を諦めるのは、まだ、スムーズでした。
心の病の人と、素人の私が向き合って、どうなるというのでしょう?
 
 
母は、私のために色々やってくれたし、なかなか気持ちの整理がつきませんでした。
色々思い出して整理すると、加齢で自己中心的になったんじゃなくて、もともと、私の気持ちに寄り添ったりってなかったね。それがベースだったんだね・・・って認めざるを得ない心境です。
 
昔から、父に負けず、私のことを嘲笑していました。
 
中学生の時、友達の家で生まれた子犬を一晩預かりました。
表の理由は、「家族旅行に行くので預かって」でしたが、本当は我が家に引き取ってもらいたかったみたいです。
 
私は、その時は、犬は飼えないのは分かっていたので、一晩預かって、返すつもりでした。実際、そうしました。
 
子犬なので、夜中に何度もトイレに行きます。
そのたびに鳴くので、起きて、外に連れて行きました。
翌朝寝不足・・・
「夜、何度も起きて大変だった。」 と言ったら、
「これでよ~く分かったろうが。 生き物の面倒は大変やけんね。」
と、母に思いっきり嘲笑されました。
 
  わたし、「子犬の世話なんて、簡単・楽勝なんて言ったっけ?」
 
もちろん、いっていません。勝手に決め付けて、私を貶めて、嘲笑したのです。
 
 
高校の時、友達が民族舞踊の舞台に誘ってくれました。
チケット4000円。当時の私には、ちょっと高かったです。
「あんた、タダで行けるとおもったっちゃろう。」
 また、嘲笑。
 
 
そうだよな~。昔から、これだったよな~。
あの人たち、嘲笑がお得意。
 
子供を貶めて、優越感に浸って嘲笑。  
 
 
極めつけが、私が小さい時
高熱を出して寝ていました。リビングからは、家族の楽しそうな談笑の声が聞こえます。
これだけでも、寂しくなるには十分でした。
母が様子を見に来て、
「具合はどう?」
「苦しいよ・・・」
「寝とけばなおるっちゃけん。」
 
ここまでは、いつもの会話。(それもどうかと思うのですが)
 
家族との会話が聞こえてきました。
父 「○○はどうやった?」
母 「苦しいって言いよるけど、大丈夫やろ」
兄 「○○はかまってほしくて、いつも大げさにいいよるったい」
家族全員:「そうだよね~ 」(笑い声が響く)
 大体あの時も・・・と悪口言われました。
 
あの時、一人で泣きました。
あぁ、弱った時も、助けてもらえないどころか、攻撃されるんだ・・・
 
 
こういうことも、子育ては大変だし、人間いつもやさしくってわけにいかないし・・・と自分を誤魔化してきました。
 
私は子育てはしていないけど、病弱なわんこがいます。
どんなに疲れていて、どんなに自分の体調が悪くても、体調崩して助けを求めているわんこにつらく当たったことはありません!
お世話はもちろんするし、わんこが眠るまで、側にいたり、手を当てていたり・・・
(体の一部が接触していると、安心するのか、落ち着きます)
頑張りどころを自分で見定めていれば、やれるし、保護者のつとめです。
 
毎日介護が必要なら、うんざりするのもわかりますが、たまに高熱出して苦しんでいる時くらい、やさしく世話できないことはないのです。 母は健康だったのだし。
本人にその気がないだけなのです。
 
 
そのあとも、
・批判されたくなければ、耳に入れなきゃいい。
 
・まだ治らんとね!(と半病人を責める)
 
・絶縁した兄については、不幸になってしまえ発言はするは、
 「自分の育てた子なんだから大丈夫、って思って様子を見たら?」と言ったら、
 「そう思えればいいけれど・・・」(思えないらしい)
 
・「・・・ちゃろ?」の決めつけ
 
 
冷静に整理すればする程、母は自分の満足を追求するだけで、思いやりがないんだって再認識するばかり。
 
母についても、諦めなきゃね。
母の日を今年からやめることで、後ろめたく感じていた自分がバカみたい。
 
 
諦めた後、ぽっかり心に穴があいちゃうけど。
無理に埋めようとするのもやめよう。
この穴と一緒に生きていけばいい。
これも私の一部なのだから。