シンプルライフへの遠い道

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自己責任

これもTVネタ。

以前イラクで誘拐されて、「自己責任騒動」を起した人が、NHKに出ていました。

退避勧告が出ていた危ない国に留まって、武装勢力に拉致された。
税金で解放交渉などをすることになって、国に迷惑かけた。
危険地帯に留まることにした本人の責任なのに!

というのが、「自己責任」の内容だった・・・と理解しています。


この事件が起きた時、「自業自得」とか、「救出にかかった費用は本人負担」とまでは思わなかったけど、「考えなしだよね・・・」とは思いました。

ご本人、あの自己責任騒動で、「死んでくれってことなんだと感じた」と言っていました。



今は、私の視点はちょっと違います。

一種の集団ヒステリーといいますか、

(子供のときに)不可抗力で理不尽な状況になっても、自分のせいにされて、助けてもらえなかったのに、お前は、おまえ自身の非を棚上げして助けてもらえるのは許せない!という怒りの暴走。・・・も、あるんじゃないかと思うのです。
どうしてあの時、日本中が「怒っていた」のか、説明できる人がいるのでしょうか?

自分は理不尽さにこれだけ苦労したんだから、お前もそれに耐えろ、な理論に見えます。
「お前も子育てで苦労しなきゃいけない」と言い捨てた友達の母親と同じ視点。
あの時の集団ヒステリーの理由はこれもあるんじゃないのかな。


そう思うようになったのは、1冊の本から。
「魂の殺人」で、ヒットラーに熱狂した当時のドイツ国民や、
虐待を受けて育ったヒットラー自身についても書かれています。

子供のときに、親を中心としたまわりの大人に自己を踏みにじられて育ったその怒りを、多くの人が無意識に抱えていた。

「自分を”正しく”育てようとした親は正しい。
 正しい親に怒りや不満を抱くのはおかしい。
 この怒りや不満を抱く自分の一部は、切り捨てるべき”悪い・汚い自分”」
この悪い自分→ユダヤ人に置き換えて、抹消を図ったのが
                    ユダヤ人虐殺の無意識の理由

一般ドイツ人も熱烈にヒットラーを支持したのは、
己の無意識下のこの怒りや、悪い自分を消したい気持ちを代弁してくれていたから。

  自分自身や、敬愛する(べき)親を攻撃することなく、
  欲求が満たされる、素晴らしい主張に乗っかった。

私の理解では、こういう解説でした。

集団心理として、この暴走ありうる、と思います。


みんなが子供のときから一人の人間として尊重されて育てば、この世の理不尽の何割かは確実になくなるんじゃないか? と思う今日この頃です。

尊重されて育ち、他人を尊重することが身についている人が、
この手の集団ヒステリーにすぐに身を任せるとは思えません。
ちゃんと立ち止まって、自分の意見はどうだろう?と考えられるんじゃないか?と思うからです。

私も今後は、一瞬立ち止まって考えられるようになりたいです。