シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

見捨てられ不安

私は見捨てられ不安が強いです。
それは、子供のときのトラウマの残滓なんだって、納得できました。
回復への一歩です♪

子供は、親に見捨てられたら、本当に命に関わります。
なので、親に愛されている安心感がない場合、
見捨てられたらどうしよう!という不安も深刻。
私はまさしくこれです。


相手の機嫌を損ねたら、完全拒否されてしまう気がして、しょっちゅう不安になっていました。
理性で”ここは自分を貫く”と決めても、妙な不安が消えずに落ち着きません。


その時の、私の気持ちを掘り下げて、文字にすると、

「今後この人が必要になったときに、そっぽを向かれて、
 自分が立ち行かなくなってしまうかもしれない。
 (生きていけなくなるかもしれない)
 だから、今、この人とは意見も違うし、言う通りにはしたくないけど、
 相手に合わせるしかない?」

文字にすると、自分でも笑えます。
この不安が現実になったことはありません。
本当に、ただの不安なのです。

今は、誰かに完全拒否されても、他の道を探すことが出来ます。
特定の数人に絶縁されたからといって、命に関わるとか、私の社会的地位(というほどのものはないですが)がなくなるとか、そういうことはありません。

トラウマの残滓からくる不安に囚われなくていい。
「あ、今何だか落ち着かないけど、単なるトラウマ後遺症だから大丈夫」
そう思えそうです。


この気付きは、義母の一周忌法要のあれこれから得られました。

今日は母の命日。
法事をしないことは、既に自分なりに考えて、結論が出ていました。
それなのに、叔父が一周忌で訪問してくれたとか、義兄が法事をやりたそうだったと聞くと、妙に気持ちが騒いで落ち着きませんでした。

義兄を気の毒とは思いますが、申し訳ない、とまでは思いません。
不安の原因は義兄ではないようです。
私が義兄に助けてもらうことはないだろう、と思っているので、見捨てられ不安も出てこないようです。

原因は叔父です。(叔父に非はありません)
叔父が法事をやるのが当然と思っているのは知っているので、それで気持ちが騒いでいたようです。
「相手を満足させなくてはならない病&見捨てられ不安」です。
「意見が違った時は、相手に合わせないと捨てられる不安」(--;

「この不安は正当か?」 自問しました。

「叔父に絶縁されたら、少しは寂しい気がするけど、それだけ。
 法事のことは価値観の違い。かと言って、法事をやらないのが世間的に
 正しいわけじゃないから、叔父が怒って、絶縁するといったら、
                         現実は受けいれる。
 後見人さんがいるので、叔父がいなくても、実務は大丈夫。」

 私が勝手に不安になっているだけでした。
 価値観が違う、それだけのことです。


他にも、見捨てられ不安が顔を出すことが沢山あります。
これからは少し和らぎそうです。