シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

欠けたピース

この微妙に憂鬱な感じは何だろう・・・ず~っと考えてきたことです。

自分がACで、彼らが毒親だと気付くず~っと前から。
小学生の頃から?
幼稚園児の時には、既に思い始めていた気もします。



         自分の存在が許されている
  ありのままの自分が、このまま”在る”ことを許されている

        そんな安心感が、根源で欠けています。



理由ははっきりしています。
親に存在まるごとを受け入れられている実感がなかったから。

彼らにとって、都合のいい子の部分だけ存在を認められていた。

母にとって、自分の不安から目を逸らしてくれる、安心させてくれる言動をしている時だけ受け入れられた。

父には自分の賞賛者でいるときだけ、楽して自分は「いい父親だ」と思わせたときだけ、受け入れられた。


彼らの手に負えないような難題を抱えた時は、
 自分で何とかしなさい
 弱いお前が悪い

 あるいは、気付かないフリ。黙殺。


この感覚から卒業するには、
赤ちゃんが自分の存在全部を預けて安心するそうな・・・そんな守られている、存在を許されている実感が必要なんだと思います。



生き直しで、体験出来ればいいのでしょうが・・・
 勿論、生物学上の親には無理。
    それどころか、私を傷つけ、搾取する存在です。
    現在、最大の「天敵」

 もし、「幾つになっても、親は子供が心配なんだよ」の言葉が本物で、
 離れて住んでいても、気にかけてくれているという安心感があれば、
 また違ってくるんでしょうね。

 私が感じるのは、
 「私達の基準から外れていないか、しっかりと見張ってるよ。
  これからは私達の役に立ってもらうからね。」
                      見守りとは対極です。


親しい友達や夫の前では、割と自分のままでいられます。
でも、これは横並びの関係。
大いなるものに包まれて、安心する状態とは違います。
  (それを求める相手でもありませんし)
自分の存在をそのまま受け入れられた体験が殆どないので、他者が自分を信頼してくれている気がしても、どうしていいやら、どう受け止めればいいやら、分からず、困惑してしまいます。
一呼吸置いて、相手の信頼を受け取れるようになったら、また違ってくるのかもしれません。



簡単なのは信仰を持つことなのかも。
 ”いつも神様は見守っていてくださる”
  と思えたらいいでしょうね。
でも、残念ながら、今のところあまり信仰心はありません。
こういう感覚が全くないわけではないですが、心の支えになるほどではないです。


         どうすればいいのか、分かりません。


この虚しさを埋めるために、買い物しているんだろうな~と感じます。
これまでは、そう"考えて"いたのですが、最近は、"感じ"ています。

欠けたパズルのピースは買い物では埋まらないんですけど。
それも分かっているんですけど。
今はこんな状態です。