哀しいことに、親が私を愛してはいないことは分かっています。
じゃあ、私は何?
愛情がないのに、世話はされていた。何で?
世話をしてもらったのはありがたいけど、私のイメージする健全な親子関係とは全然違う。
自分の気持ちの整理の為に、この待遇に名前が必要です。
親子・家族じゃない。
そんな、互いを思いやるような暖かさはありません
大人になってからも、「持ちつ持たれつの健全な相互依存・助け合い」では
なく、彼らの一方的な利用・支配があるだけ。
(子供のときの不当な支配は言わずもがな)
ペット・・・ですらなかった
幼稚園生の頃までは、父親のペットだったかも
慕ってまとわり付いてくるのがかわいかったらしく、週末にお菓子を買って
くれたり、あちこち連れて行ってくれたりしました。
でも、ペットって、「かわいがるための存在」でしょ?
違うなぁ。
しっくり来るのは「家畜」
うん、これが一番説明がつく。
死ぬまで利用する権利のある存在
でも、利用価値を保つ為に「世話」はする相手
多少、愛情はかけるけど、ペットと違って、殺して食べたりもするので、
愛情はかけすぎない。情がわくと利用できなくなるから。
品評会に出せる出来なら、自慢の種になるから、世話にも気合いが入る
子供の場合なら、いい学校に入ったり、有名企業に就職したり、かわいい孫を連れて定期的に帰省してきたり・・・「できた子供、いい家庭」でいて欲しいから(自分の見栄や安心、利用価値を高める為に)。
そうね。彼らには子供は家畜だったんだ。
自分たちが作ったから、最後まで自分たちのもの。
自分たちの為に生きているもの。
利用しつくす権利のある対象。
結婚しようが、それは自分たちへの奉仕の形が変わるだけで、自分たちの優位や支配権は永遠に変わらない。
彼らにそう言ったところで、元気に否定するでしょう。
「親の愛が分かっとらん」
「どんなに苦労して育てたと思っとるとね」
でもね、”私”がどう感じで、どう動くかは、”私”が決めるから
それは、私の権利だから。