自分はAC(アダルトチルドレン)じゃないか?
と、思い始めて約1年経ちました。
正確には、児童虐待の本を読んで、”これって自分のこと??”と思い、
自分の親の育て方、接し方に大いに問題があったのでは?
と気付いて1年です。
色々な本を読んで、自分なりに勉強したり、気持ちを共有できる友達と話し合ったり。
ここにあれこれ書き連ねたり。
まだまだ試行錯誤は続いていますが、1年で、かなり進展がありました。
何となく生き辛くて、抑うつ感に苛まれるときがある
自分でも、そう感じなくて良いと分かっている場面で罪悪感を感じる
スイッチが入ると、自分の気持ちに蓋をして相手に合わせ、相手に尽くしてしまうことが良くある(尽くす必要のない相手に)
どうしてこうなのか、説明もつかないし、対処法も分からずもやもやとしていたものに名前がついて、すっきりしました。
そう、名前がつくこと、定義されることの大きさを実感しました。
私の性格のせいでも、被害妄想でも、気にしすぎでもなかったのです。
あの人たちがどれだけの毒親だったかも分かりました。
今の自分にとっての最大の問題は、こなき爺・婆が相変わらず私の人生に口を出し、根拠のない嘲笑をし、支配しようとしていることだ、
何を言っても彼らは変わらない
このことを、諦めと共にかなり受け入れられました。
最終手段として、絶縁も自分に許しています。
でないとこの抑圧された怒りが、殺意に変わる日が来るかもしれません。
これまで、ただ「会いたくない」とだけ思っていた彼らから距離を取りつつあります。
電話しない、電話に出ない、話す時は用件のみ、極力会わない・・・向うは、私の態度の変化には気付いていない気がすることも多いです。
少なくとも、嫌われたとは思っていないようです。
(もしそう思うなら、どうでもいい世間話をだらだら始めたりはしないでしょうから)
毒親の影響が、自分の考え方や反射的にしてしまう反応、無意識に湧いてくる感情などの隅々にまで及んでいることを思い知らされます。
自分の思うままでいい
いいかげんでいい
奴らの機嫌をとる必要などない
今は自分にそう言い聞かせながら、少しずつ練習中です。
まだ効果の実感できる時はわずかです。3歩進んで2歩下がっている感覚。
でも、ほんの少しずつでもいい方向に進んでいると思います。
このまま、自分のペースで進んでいけたら、と思っています。