シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

ACの定義(依存症 信田さよ子 著)

著者の定義では、AC(アダルトチルドレン)は
「現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人」

私の抱えるもやもやを、表現してくれ、自分の感じるままに定義していいんだと思わせてくれました。

------引用 -------

・しかし親へのマイナス感情を容認することは決して容易なことではない。それはわが国に強固に存在する「親孝行」という暗黙の価値に対する異議申し立てであり、また「親の愛」「母性愛」が現実には何であったかという、神話の解体でもあるからだ。親子関係が支配関係であったと疑う、一種のタブーを超えてまで自分の生きづらさのルーツをたどる必要があると感じる人がACなのだ。

------引用終わり-----

親との関係に苦しんでいる友達と話していて、

 多くの人は「親を嫌うこと」を悪と感じているよね~

で一致しました。(かつての私もそうでしたし、その価値観のせいで苦しんでいます)
これはこの本にあるように、「親の愛」「親孝行」などの刷り込まれた価値観から来ているんだと思います。

この友達と一致したのが、親の老後の世話について。


  自分の中の価値観との戦いと、
  世間的には認められない選択をしなくてはならない
  ハードルの高さがあるよね~


実際に介護となれば、とっても大変で、心身ともに苦労の連続なのは想像できます。たとえ、良好な関係の親でも、実際の世話は大変。
でも、
「親の世話をして偉いですね。」
「孝行な子供がいて、親御さんは幸せですね」
「介護は大変でしょう・・・ご無理なさらず・・・」
と、行動はプラスに評価され、いたわりも得られる・・・かも。
すくなくとも、「自分は正しいことをしている」と思えるでしょう。

でも、色々な葛藤を味わい、自分に刷り込まれている「親孝行」の価値観と戦い、それを振り払って、自分の心を守る最終手段として「親には関わらない=老後の世話をしない」結論になってそれを実行していても、世間的には
「自分かわいさに親を見捨てる酷い人」
周囲には理解されない。

世間の価値観と違うことをする、というのはこういうことなんですよね・・・


------引用-------
症状の有無、チェックポイントによって他者が判定したり診断したりすることではない。
------引用終わり-----

本当に。これは心の問題は勿論、体調もそうだ~~

現代医学ではまだまだ解明されていないことが沢山ある(分かっていないことのほうが多いくらい)なのに、「病院で異常なしと言われたら、異常なし」な風潮って・・・
そうだ、私がきつかったら、きつい、でいいんだ。

心の問題も、未だに「甘えだ」「気合いが足りない」にしちゃう人多いし。
確かに、良くなる見通しがないことをぶつぶつそばで言われたら、不愉快なのはよく分かります。
でも、「あら、お大事にね」くらいで流していただけるととっても助かるんですが・・・