毒親関係のことでは、まだまだ気持ちの整理もつきません。
彼らがいかに毒親だったか、水底から泡が浮いてくるように、
記憶が戻ってきます。
今辛いのは、毒親に刷り込まれた、不健康な、自分を不幸にする思考回路・行動パターンに自分がどれだけ絡め取られているか、日々実感させられることです。
結婚後、段々空虚な気持ちを持て余すようになりました。
それは、「自分のことは脇に置いて、親を満足させる為に生きなさい」という呪縛のせい。
結婚して、この呪縛から遠ざかり、人生が自分のところに戻ってきました。
でも、あまりにも長い間、親の価値観に操られていたので、いざ自分の人生を歩もうと思っても、自分がどうしたいのか、何を感じているのか、はっきりした手ごたえがありません。
そのせいで空虚さに苛まれていたようなのです。
当時は自分でもどうしてなのか分かりませんでした。
今もその空虚は続いています。
そのせいで、買い物に走っていたのだと、今ははっきり分かります。
愛についても、よく分かりません。
親の教えてくれた「愛」は
わがままで、気まぐれ
本当は愛などないのに、「愛している」と言ってみたりする”嘘”
ある時は”これが愛情なのかな”と思えたかと思うと、親の都合ですぐに
それを引っ込める
訳の分からない理由で、あるいは、何の理由もなく、現れたり、
なくなったりするもの
父には愛はなかった(父には愛する能力が欠けている)です
母には多少あったように思いますが、母自身の不安を解消する為、
不安の源泉から目を逸らす為に与えられるもの
実家では、愛はベースに常にあるものでなく、オプションでした。
あんな辛辣なもの言いや、待遇のベースに愛があった???
親は”あった”と言うでしょうが、私にすれば詭弁です。
一貫したやさしさ、慈しみ、見守り、思いやり・・・そんなものが我が家にあったのか・・・今思い返すと、「???」です。
一番腹が立つのは、愛ではないものに、愛と名づけて、「私たちはこんなにも子供たちを愛している」と言いづづけ、嘘を刷り込まれたことです。
愛が分かりません。
私は夫のことも、わんこのことも大切にしているつもりです。
夫もわんこも、私を大事にしてくれますが、愛かどうか、確信と言うか手ごたえがありません。
分かっていないこと、そのことに不安定な居心地の悪さを感じていることにすら気付かずここまできました。
これから、自分なりの”愛”を見つけて再構築です。
”自分の人生を生きる”ために、”自分探しの旅”です。