シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

父からの手紙 その2 -事実の否認-

最近の父からの手紙に、
  
       私が元気なので安心した

と書いてあって、不快感を募らせています。

一つは、父に直接、私が「調子が悪い」と言ったことが完全に無視されているから。

もう一つは、事実(今も不調が続いていること)を無視して、知らないうちに私は元気だって事になっているから。
 

”久しぶり(二年ぶり)に会いましたが、○○(私の名)さんが元気だったので安心しました。”
 なんてダメ押しで手紙に書かれたら、違和感を感じている自分に嘘をついて、素通りするわけには行きません。


一目で分かるほど調子が悪いなら、祝いの席には来ないでしょ。
何とか日常生活は送れるけど、すぐ調子が悪くなるって言わなかったっけ?


毒親お得意の「事実否認」も入っていますね。
自分が認めたくないことは、なかったこと、ないこと、大したことではないこと、にするのです。

事実を捻じ曲げてまで、どうして私が元気なことにしなきゃいけないのか、よく分かりませんが。
「元気でやっている」こと以外は受け入れられないのでしょう。

毒親の特性は横に置いても、
コミュニケーションとしても、とっても変です。


「腰が時々痛いって言っていたけど、最近どう?」
「あんまり良くないんだ」
「そうか・・・元気で良かった。うん、良かった。」

  会話として、成立しています??

「お姑さんと上手くいかないって、悩んでいたけど、大丈夫?」
「やっぱり合わないんだ~」
「ふ~ん、まぁ、良かったね」

  どう考えても変でしょ?

そのあとで、
「腰も大丈夫みたいで安心しました」

「お姑さんとも上手くやっているみたいでほっとしました」

なんて、手紙やメールが来たら??

友達だったら、もう、「知り合いに格下げ」って思います。


どう考えてもおかしい!!

気付かないようにしてきただけで、ず~っとこうだったんでしょうね~
なんだか「透明人間」になった気分です。

親に存在することそのものをちゃんと認識してもらえない子供たちが、健全に育つはずがない。
だって、自分では「わたしはここにいるよ」って叫んでいるのに、
いつも違う方見て話しかけるだけ、何と返事をしても独りよがりの反応、じゃあね。


こういうことがあるたびに、
老親に冷たくするのは身を守るための最終手段、仕方のないことなんだ、
と改めて自分に言い聞かせます。


手紙の返事は、
「写真届きました。ありがとうございます。」
と絵葉書の隅に書いて投函しました。

本当は無視したいけど、反応なしだと「とどいたか?」って電話してきますからね・・・
今回は、私が写っている写真もあったので、礼儀上お礼の一言は必要でしょう。


そのうち、事実を更に捻じ曲げて、

私が姪の子守がイヤになっている、

ってことにされかねないな~