シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

練習 その2

今週は消防設備点検です。

毎回プチ大掃除をして、不用品を処分します。
年2回、春と秋の気候のいい時期だし、定期掃除に丁度いいからです。

今回はやめました。
体調不良もあり、今回は大掛かりな片付けは無理なのもありますが、
これも奴ら対策。

人が来る、と言うだけで緊張して家中大掃除します。
それって、こなき爺・婆が必ずケチをつけるから。それが怖いから。(怖がっているなんて認めたくないけど。小言を跳ね返す気力がなかったのは事実です)

今回は、(係の人に現状を見られるのはとっても恥ずかしいですが)目立つところだけ片付けはしますが、取り繕うのはやめました。

「これが私の生活です。それが何か?」
                   ってことです。
こなき爺・婆が何と言おうと、動じない為の練習。
「自分でいるための」練習。

   勿論、本当は綺麗に片付いた、物の少ない家に住みたいです。
   ほんの少しずつですが、取り組みは続いています。
   でも、奴らの小言を恐れて片付ける・・・なんて、奴らの支配を許す行為
   は止める、今回は体調不良で片付けられないので、その練習に充てる
   ことにしました。


こなき爺・婆は、”感想”という名のケチつけ、文句は大の得意。
我が家のことは、
「以前はひどい安物の家具を使っていた」
「食器洗い乾燥機なんか買って、余った時間何するの?」
「物が多いわねぇ」

姉宅のことは、
「共稼ぎだから時間がないんだろうけど、水周りの汚れなんて酷いもんだ」
「棚を開けたら、ビニール傘が何十本もあった」

兄宅のことは、
「綿ぼこりが溜まっていた」(これは父の妄想で、事実無根)

とにかくケチつけが凄いんです。

じゃあ、実家はセンスのいいインテリアで整えられ、綺麗に片付いているかというと、そんなことはありません。
掃除も、まぁまぁ。
    うちとそんなに変わりません。
インテリアセンスは我が家の方がまだマシ。
ちぐはぐな家具が置いてあります。



素朴な疑問:
    こんな”感想”を言う人たちを家に招きたいですか?