片付け本の愛読書 「ガラクタ捨てれば自分が見える」
著者:カレン・キングストンさん
風水の視点から、不用品の処分を後押ししてくれます。
ガラクタがたまると、運気も滞る
ガラクタを捨てて、隙間を作ると新しい運気が入ってくる
単に「使わないものは手放しましょう」だけではなかなか捨てられない私ですが、この本に後押しされて沢山処分しました。
この本の中に、
「物を溜め込む人は、必要な時に必要な物を神が与えてくださると信じていないことになる」
という意味の記述があります。
私は、神が必要な物をちゃんと与えてくださると思いたくても思えませんでした。
その時は、理由は分かりませんでした。
昨日、ふと気付きました。
「私の神(子供の頃の親)は、必要な時に必要な物を私には与えてくれませんでした!」
だから、私の依存症はアルコールでも薬物でもギャンブルでも男遊びでもなく、「買い物依存・買いだめ症候群」になったのです。
小学生の時、父が蛍光ペンを数本くれました。
母は買ってくれないし、自分の小遣いでは買えなかったので、嬉しかったです。
早速試し書き。
・・・・・・・・・
インクがかすれていて、使えません。
父がくれたのは、インク切れの「ゴミ」だったのです。
父が自分の使いかけをくれたのは知っていました。
でも、インクの切れた「ゴミ」を渡されるとは夢にも思いませんでした!
即座に捨てました。
当時、ナゼ父は使えなくなったゴミを私にくれたのか不思議でした。
今思えば、父は(無意識にせよ)私(子供)には自分の使い古しのゴミ(インクの切れたペン)で十分と思っているからでしょう。
子供は自分より格段に低い存在なので、ゴミでも喜べ、ってことなのでしょう。
この無神経は未だに許せない事件の一つです。
母は、いつも私にはお下がりを与えました。
子供全員に常に新品を用意する経済力がなかったことは十分理解しています。
下宿して大学に通えたのは、この母の節約術の賜物、とも言えます。
ですが、子供の感情は違います。
服は姉が一年着た物を2,3年着せられ、
参考書、小学校で買わされる指定の道具類、修学旅行で使うかばんなど
ことごとくお下がり。
買った時には流行のデザインでも、私が使うときは時代遅れ。
「お下がり」が自分が思っていた以上にトラウマ化しているのは、
・いつもお下がりで我慢しているから、これは買ってあげようね、
と何かを買ってもらった記憶がない
(お下がりを我慢しても報いはなかった。嫌な思いをしただけ)
いくら経済的にゆとりがないといっても、たまに、安いものなら買えた
ことは子供にも分かっていました。
その経済力はあるのに、お前には買ってあげない(買ってやる価値が
ない)という無言のメッセージを受け取りました。
このメッセージは親の意図とは違うでしょうが、私にはそう届いたようです。
・兄や姉は買ってもらえたものが、私だけ買ってもらえない差別待遇
家族全員(少なくとも子供たち全員)が我慢をしていたなら、トラウマ化
はしなかったかもしれません。
「私だけ」が買ってもらえなかった、ちゃんと用意してもらえなかった
ものが何と多かったことか。
学校指定道具では、お下がり品にはパーツが欠けている時もありました
が、それでも買ってくれませんでした。
「どうせ数回しか使わないんだから、友達に借りるなりして対応しなさ
い」
・小学生までは、服だけでなく、持ち物もお下がりが多くて、学校で凄く
引け目を感じた。
好きだった男の子に、「いつもダサい服を着て暗い奴」と言われて大変
傷ついた。
姉もいとこからのお下がりの服を着たり、兄のお下がりの道具を使わされたりしていましたが、新調してもらえる物も沢山ありました。
私は姉と年が近かったこともあり、買ってもらえるものはごくわずか。
文句を言っても、「これを使いなさい。これで十分」と怒られた。
兄、姉もいっしょになって、「お前のわがままだ」と言われた。
(父は無関心なので、ノーコメント)
母は五人姉妹の長女です。だから、「お下がりばかり」なのがどんなにイヤか分からないのです。
母は私とは比べ物にならないほど物のない時代に育ちましたが、おば達に言わせると
「姉ちゃんはいつも新品が使えてよかったよね~」
(おば達はお下がりをつかっていたので、それがイヤなのは身に染みていたようです)
私の神(両親)は、引け目を感じるようなお古しか与えてくれず、それで十分、それで我慢しなさいと態度で示したのです。
私の鬱積したストレス(恨み)は、
欲しい物は手に入る時に出来るだけ沢山手に入れて、備蓄しておかないと、
次に欲しい時・必要な時に手に入るかは分からない
という価値観になりました。
そして、自分に経済力がついたとき「買い物依存・買いだめ症候群」になったようです。