シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

2008年6月

今月は、家計簿を再スタート
    ちょこちょこ片付け・・・引き出し一つ 
               服数枚処分
ホンの少しですが、進み中

気持ちの整理は・・・予想通り、行きつ戻りつ、です。
思い出すのは「いい子ちゃん」になろうと、自分の感情を認知することを放棄して、親や先生など周りの大人の気に入るように必死に振舞っていた自分。
小学生の時、クラスメートに先生の言うことを聞かずに勝手に振舞える人がたくさんいて、とっても不思議でした。
自分の思うままに行動しているように見えた人たちも、
 ・本当に、自分の気持ちを優先していた人
 ・大人への反抗心から、わざということを聞かなかった人
がいたと思うのですが・・・今となっては、自由に行動できなかった自分が不憫です。

暴力を振るわないとか、
他人の物を盗まないとか、そういう大切な教えに従うのは必要だと今でも思いますが、ある意味どうでもいいこと・・・授業中によそ見をしないとか(騒いで迷惑をかけないのなら、多少の息抜きでよそ見もありでしょう)
にまでこだわって、必死に言うことを聞いていました。

それで、ちょっとでも好かれようとしていたみたいです。

正確には、私には愛される資格がないので、せめて決まりを守っていい子でいないと、嫌われたり、捨てられたりすると無意識に思い込んでいたみたいで。

本当は、そのままの自分を受け入れて愛して欲しのだから、いい子になってもらう愛情じゃ、どうせ満足は出来ないのですが・・・

何をしてももらえない愛情を求めて、必死になっていた自分が哀れで悲しいです。
何ともいえない気持ちです。



親との関係を思い出すとき、何処の家庭にもあるちょっとした軋轢なんだろうか?私が騒ぎすぎ?と思うこともしばしばです。
ですが、たまたま警察のお世話になるような問題を起さず、心の病で入院することもなくここまで来ただけで、実家で行われていたのは「静かなる殺人」だったのだと思います。


自己憐憫に浸っている・・・?
しばらく浸っていよう。
この事実を受け入れるには時間がかかるし、軽く素通りするのは自分に嘘をつくことになるから。


こんな調子なので、来月も活動は少しずつかなぁ。