シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

介護の現実

パート先の常連さんと、全く違う場所で偶然会いました。

お母さんが入院したので、毎日お見舞いに来ているとのこと
お母さんは寝たきりで、自宅で看ていたけれど、下の世話も体力の限界だし、床ずれも酷いので、医師の勧めもあって、「床ずれの治療の為」に入院したそうです。
私から見ると、もう十二分に頑張ったのだから、病院や公共サービスにお任せしないと、あなたが潰れますよ・・・  なのですが、ご本人は入院させた-手抜き? 世話の放棄?と後ろめたく思っていらっしゃるようでした。
毎日お見舞いに行くだけで、十分!!だと思うのですが。


「親の面倒を看る」
ってこういうことなんだよね・・・
世話しても地獄、他にお願いしても地獄、みたいな。

終わりのない、はっきり言って楽しみの殆どない世話・・・
 子育ては「子供の成長」というご褒美がある
 ペットは「いるだけで可愛い」

両方とも、あとどのくらいで終わるか分かっているから、大変でも出来るし、今を大切にしようと思える。


   でも、親は?
  はっきり言って、「責任感からそうしているだけ」
          「仕方なく」
                   が本音の人が多いのではないかな。

あとどの位世話をしなくちゃいけないか分からないし、
終わって欲しい=死んでください なので、終わって欲しいと思うことにも後ろめたさが伴う。

そんな大変なことを、こちらに振ろうとしている自分の親に凄く腹が立ちます。
自分たちは、自分達の親の世話は兄弟に任せて、年数回見舞いに行くだけ。
それは親の兄弟の間で話し合って、決めたことだから構わないのですが、
自分たちは世話をせず、世話だけされよう・・・って虫がいいとも思ってしまう。
私は逆になりかねない。
親の世話はしたけど、自分の始末は自分でするしかない。
そうしたいと思える親じゃない。

「世話をしない=野垂れ死にしてください」・・・親を見殺しにするのか!!
と言いかねないな、あの人たちは。
平気で見捨てられるわけではないけれど、自分の為には関わるわけにはいかない。
「親のことで、自分がやりたくないことは絶対にしない」
は死守しないと、自分の人生を親にのっとられたままになってしまう。



世話を断って親が文句を言ったら、

「自分の育て方が悪かったんでしょ」

と言ってやろう。本当のことだから。