シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

癒し 代償に可愛がること

私にとってはわんこの存在そのものが癒しなのですが、
わんこを甘やかして、大事に世話することも癒しになっています。

わんこがお世話されて、幸せそうに寝ているのを見るのが一番嬉しい。

散歩の後に、お気に入りのガムを食べならがブラッシングしてもらうと
もうご満悦。

遊んで欲しい気持ちが通じて、お気に入りのおもちゃが登場した時は全身で
「わーい \(^o^)/」

夜は、別に胸焼けしていなくても、ペット用の草を食べてから寝ます。
自分の為に、わざわざベランダの草を摘んで、小さくちぎって手で食べさせてもらうのが大切みたいです。
草をちぎって、お皿にぽいっと置いても、食べなかったり、さらにぐずったりします。
「手をかけてくれる=愛されている」実感が大切らしいです。


わんこはある意味小さいときの私。
構って欲しい時は構ってもらい、
いつも見守られて「好き・好き」される。

    わんこが幸せそうだと、私も幸せ。
 わんこが大人になって、いい子になってからは、ずっとこんな感じ。



人間の子供だとこうは行かないことが多いようです。
(子供を可愛がって癒されることが難しい)
虐待を受けて育ったので、自分は子供には決して虐待するまい、と思っているのに、虐待をしてしまう人の話は時々聞きます。
それは、どうやって愛情表現すればいいかわからないのもあるでしょうが、
「嫉妬」も一因だそうです。

自分は子供のときに愛情を切望しても与えられなかったのに、お前は愛されて自己主張も許されるのか?!

無意識に封じ込めている、十分に愛されなかったことへの怒りが自分の子供に対して噴出するそうです。

この説明には納得。
自分が親になることを考えた時、躊躇した大きな理由
「きっと子供を虐待する。(確信に近いものがありました)」

わんこが子犬の時、いたずらの限りを尽くした時期は、必要以上に強くたたいてしまったことも一度や二度ではありません。
(ごめんよ、わんこ)
そういう時は、わんこをケージで留守番させて、一人頭を冷やしに外出しました。
一緒にいれば、更にいじめてしまうに違いないから。

これが子供だったら、小さい子供一人置いて外出は出来ないし、急に預かってくれるところもないし、親子で煮詰まるだろうと思いました。

わんこは、(わんこには申し訳ないけれど)育て方が悪くて性格が歪んでも、一生世話をすることで、一応の責任は取れます。

子供は、独り立ちして、普通の順番なら、私が死んだ後も生きていかなくてはいけません。ある意味、「神さまからの預かりもの」
その子供の心に深い傷をつけておいて、
「後はセルフサービスで頑張ってね」
と世に送り出すなんて出来ない・・・。
自分が生きる事自体が苦しくてもがいているのに、同じような苦痛を抱えて生きる人を生み出したくない、というのもありました。


トラウマについて考える前から、自分には心の問題があると感じていたようです。
やはり小さい時に十分愛情や手間隙をかけて貰えなかった恨みや怒り、悲しみが私の中でくすぶっているようです。