シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

夫への複雑な気持ち

夫の旅立ちが見えてきて、何とも言えない気持ちです。

夫の体調がおかしくなってから入院するまでの時期、私はとても辛かったです。日中ずっとゲップや咳払いでうるさい!とストレスだった頃(今思えば、発病初期で自律神経がおかしくなっていたのでしょう)。

夫が退職したいと言い出して、今後の生活不安がドーンと視界を塞いだころ。

段々夫の認知機能が落ちておかしくなっていった頃。それと同時に、夫は今度の我が家の生活や私・わんこへの関心が減って、寝てばかりになっていきました。話題にしても、「なるようになる」とか、「持っているお金でやっていくしかない」で思考が止まる夫。

見捨てられたようで途方に暮れていました。

自分も体調が徐々に悪くなって、身動きが取れなくなり、ますます煮詰まっていきました。

 

当時はメンタルクリニックの診断:うつ病だと思っていて、うつ病にしてはどこかおかしいと思いながらも、良くなりたいという気力を見せない夫に苛立ったり、不安になったりしていました。

私は家事とわんこの世話をするエア家政婦? これからどうなるの?

今の状態じゃ、私が働きに出ることすら難しいよ? もう死にたい・・・

段々追い詰められていきました。

 

あの頃の心の傷がまだ癒えていません。

 

夫自身も、変化していく自分の状態に気持ちが追い付かなかったのだろうし、考えようとしても病気のせいで考えがまとまらず、疲れてとにかく寝ていたかったのかな・・・と今なら想像できるのですが、理性で納得できるのと、心の傷が癒えるのとでは必要な時間が違うようです。

 

夫が逝ってしまうのは途方もなく寂しく、悲しく、心細いのに、アンビバレントな感情もあって、居心地が悪いです。

先代犬が亡くなる前に看病していたころのように、「別れは避けられなくても、少しでも苦しまずに、心穏やかに暮らせるように私にできることをするのだ!」という決意と、相手への愛情と感謝だけではない自分を自覚しています。もちろん、こういう思いがメインなのですが、そこに、「でも、あの頃辛かった・・・」というネガティブな思いが混ざるのが嫌なのです。

先代犬を見送った時のように、愛情と感謝で今の時期を過ごせたら自分が楽だ、というのがあるようです。

 

今は、「あれは病気のせいだった。夫の気持ちが冷めたとか、私への関心がなくなったとかじゃなかったんだ」と頭では理解しているので、時間が経てば、心の傷も癒えたと思います。

まだもう少し時間がかかるかな・・・というこの時期に、夫を見送ることになってしまいました。

夫の優しさや楽しかったことを沢山思い出して、感謝の気持ちで見送りたいと思っているのに、それ一色にはなり切れない自分が情けなく、哀しいけど、どうしようもない。

 

そんな自分も、「うんうん、これが自分の限界なんだから、しょうがないよ。いいよ、これで。」と優しく受け止めたいです。

 

 

夫の療養中、夫を責めたり、問い詰めたりはしなかった自分を褒めよう。

自分が不安だとは訴えたけど、それを解決するのはあなたの役目だ(なぜなら、”夫:稼ぐ人、妻:家事する人でやってきた夫婦だから)と責めはしなかったです。・・・夫は責められていると感じた瞬間が何度もあったのかもしれませんが・・・。

 

 

いつか、「あれが互いの限界だった。」と受け入れられる日が来ますように。