シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

”分かって欲しい”は奴隷の心

夫が体調を崩してから、周りの人の助けで何とか日々暮らしています。

そのことにはとても感謝しています。

 

が、何だかな~ ということも。

 

年賀状だけの付き合いになっていた友人から、先日同窓会の連絡が来て、それ以降たまにメールのやりとりをしています。

夫の病気のことは伝えていますが、周りに夫のような難病の人がいなければ、想像の範囲外だろうな・・・ということは理解しています。

が、「こんど会いにいくとき可愛がっているニャンちゃんを連れて行けたらきっと喜ばれるでしょうね。」には言葉も出ないというか、何というか・・・。

うち、飼っているのはにゃんこじゃなくて、わんこだし。まぁ、これはいいとして・・・

コロナでなくても、入院中の人のお見舞いに、ペットは連れていけないよ?

理性では、「恐らくペット連れで病院での面会ができるかどうかを知る機会もないまま暮らしてきただけで、”何か楽しいこと、嬉しいことがあるといいね”という気持ちの表れなんだろうな」ということは分かるけど、もう、説明する気力も湧きません。あまりの乖離に。

私は夫の死が一か月前の想像より近い感じがしてきて慄いているけど、相手は、治る病気で療養中な感じのコメントをくれるので、そのギャップに虚しくなります。

 

自分があまりに大変で辛いし、一人では抱えきれないから、大勢に少しずつ助けてもらいたいけど、現実は違う、ってことのようです。

「夫の死が視界に入ってきている現実」を、一緒に眺めてくれる人はさすがにあまりいません。今の日本人の多くが、死と向き合うことが苦手だと言われているし、さほど親しくもない相手のことだと、尚更精神的負荷を感じたくないのも分かります。

 

今後、自分が「死にゆく人」になった時、周りにその現実を踏まえた上での話ができる人が少なかったら、あまりにも孤独だな・・・と思います。

私は「そっかぁ・・・」とつぶやいて、ただ隣に座っているしかできないだろうけど、相手が、「自分は自分の思いと一緒にここにいていいんだ」と感じられる時間を提供でききたらいいな・・・と思います。・・・自分の時には、そう感じて過ごしたいから。