シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

自責の強弱 人それぞれ

70歳前後のわんこ仲間の日常。夫と死別し、現在息子さんと二人暮らし。もう一人の息子さんのご家庭も近く、お孫さんとの交流もあり。

午前中は、わんこの散歩、ウォーキング、家事。身体を動かそうと、週1回は床を磨いたり、網戸掃除などもしているそうです。

昼食後は1~2時間横になって休む。

  ここまではいいけど、そのあとやることがないのだとか。旦那さんが亡くなった後、かなり断捨離もしたので、今は整理するものもないのだそうです。

 

私はいつも時間が足りなくて困っているのですが、「私みたいに暇つぶしに困る人と、あなたのように時間がないっていう人に分かれるよね~」と言われました。

 

この方の趣味は、私から見ると、「友人との交流・おしゃべり」。

コロナで去年からそれがあまりできなくなり、かなりストレスもたまっているようです。生きる楽しみがないと洩らすこともあります。

 

私がこの立場になったら、多分、「過ごし方を工夫できない自分が悪い」と思うだろうな~。でも、この人は、そんな風には思っていないよう。どちらかというと、「コロナ蔓延の世が腹立たしい。政治家がダメだから、ちっとも解決しない」・・・批判は外へ。

 

胸の奥深くは分かりませんが、表面的には、コロナのせいで楽しみが激減してやってられない!と愚痴をこちらにも発散して、多少解消して日々やり過ごしている風です。(会うたびに愚痴を言われます)

わたしとは対極かも。この点だけは、自分を責めずに済む思考回路で羨ましいです。

 

私の理想の中庸は、

・この機会に、新しい楽しみを見つけよう

・立ち止まって、自分の価値観や生活を振り返ってみよう

                   と、緩く思索もしてみること。

 

現実の私は、

・コロナ禍に対応できないな~。この程度の変化に対応できない自分が悪い。

・時々はじっくり考えようとはするけど、結局深め方が足りないから、ぼんやりとした答えの輪郭すら見えないんじゃないの? 瞑想にしても、毎日続けないと!

・聞いてくれるからって、わんこ仲間や友人にぼやき過ぎじゃない?(特にわんこ仲間に対しては、相手の負担にならないよう、同じ人に頻繁に言わないように気を付けているつもりではあるのですが)

 

結局は、自分の工夫で何とかなるのに、それが出来ていない自分が悪い です。

本当は、私にコントロールできることの方が少ないのに。

 

このわんこ仲間のように考えられたら(本心や不快悩みは分かりませんが)、自責は少ないだろうな~と思います。

 

何事も中庸は難しく、他人は気楽で幸せそうに見えるってことなのでしょうか。