シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

居るのはつらいよ 東畑開人

副題:ケアとセラピーについての覚書

臨床心理学で博士号を取り、臨床をやりたいとカウンセリングとデイケアをやる病院に就職。行ってみたら、デイケアでは、ただ「いる」ことも仕事の柱で、なじむまで時間もかかるし、葛藤もあるし…ケアとは?セラピーとは? という問いとともにつづられた体験談&思索。

エッセイ風で読みやすかったです。全体を上手くまとめることはできませんが…

この本でのデイケアの利用者さんは統合失調症の人が多かったのです。デイケアを通じで社会に出る(働くとか)を目指すというより、ただ、「(そこそこ穏やかに)いられる」ように、デイケアに参加している感じでした。この同じところをぐるぐる回る安定感に価値があるというのは、家事とか日常生活と同類だから、進歩してなんぼ、成果をあげてなんぼという実社会とは流れが違っていて、これも万人にも必要なものだよな~と感じたり。

 

利用者さんとスタッフが、相互にケアしたり、ケアされたりもあるし、スタッフが何らかの形でケアされることが足りなくなると、擦り切れてしまうというのも分かる気がしました。

 

”お金や経営”が絡むと、「アジール(避難所)」が「アサイラム(全制的施設:収容所)」になる可能性が出てくるというのも分かるので、何とも言えないものが残りました。

 

居場所型デイケアは、「ただ、いる、だけ」を続ける(それしかできない)利用者さんも多いが、こういう社会復帰に結びつかないケアは、投資ではなく経費として位置づけられやすい。

限られた財源では仕方ないのも分かるけど、今の社会の隅々にまで浸透したこの基準が、「ただ、生きているだけじゃダメ」になって私を侵食して、生き辛さを日々うみだしています。「生産性・進歩の呪い」です。

この呪いは、知らない間に多くの人に跳ね返って、社会に息苦しさを増やしている気がするのですが…。コロナ関係の番組で、「そもそも、経済か命かって、同じ土俵に乗せられないものを敢えて乗せて語るのがおかしい」という趣旨のことを言っている人がいましたが、このケアと費用対効果の問題もそうかも。

 

手厚いケアに社会が人手やお金をかけるのは、一見無駄に見えますが、社会全体の精神衛生を考えると、とても重要な気がします。自分が働けなくなったり、直接的に社会に役立っていると胸を張って言えなくなっても、排除される心配のない社会にいるという安心。

ちょっとくらい失敗しても挽回のチャンスがもらえて社会から追い出されないとか、治る見込みのない病気になっても、ケアしてもらえて、それなりに生きてはいけるという「数値化はできない安心」が、自分が元気な時に、そうではない人にやさしくできる素地になるだろうし。

色々と広げて考えるきっかけにもなる1冊でした。