夫の鬱・休職で、今後の生活がどうなるか分かりません。
まずは身軽になろうと、地道に断捨離は続けています。
先日、ル・クルーゼのかぼちゃの鍋とサヨナラしました。
10年以上前だと思うのですが、ル・クルーゼの鍋をたくさん買い揃えた時、形の可愛さに惹かれて買ったかぼちゃ鍋。実用性は低く、結局普通の形の鍋ばかり使って、出番は殆どありませんでした。飾って愛でるわけでもなく、ずっとシンク下のル・クルーゼ置き場に眠っていました。
ほぼ新品なので、化粧箱はないけど、ネットで売れば数千円にはなったかも。でも、その手間をかける気力もないので、不燃物置き場に持って行き、さよならを言いました。
翌日見たら、なくなっていました。誰かが持って行ってくれたのかな。使うなり、売るなりしてくれたのなら嬉しいです。
かぼちゃの鍋がなくなっても、生活は全く変化なし。使っていなかったのだから当たり前。また一つ、私の人生の歴史の証拠物件が去っていきました。
5月に死生観のお話し会に参加した時、ワークで大事なものを書き出し、一つずつさよならをする、というのがありました。
その時書いた「大事なものごと」に比べれば、かぼちゃの鍋や、今処分しているはぎれは、取るに足らないものです。
でも、別れの痛みは小さくてもあります。
人生は喪失の連続。人生100年だとしても、後半に入っている私は、これからは得るより喪失の方が増えていくでしょう。
小さな別れの痛みを体験して、逃げずに味わって、これからの喪失と折り合いをつけていく力を得られれば・・・と思います。