シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

自分と向き合う「知」の方法  盛岡正博著

私が読んだのは、ちくま文庫版。エッセイ集。

特に最初の方は読んでいて辛かったです。

書名通り、「自分と向き合う」ことから逃げない「知の方法」なので。

じゃあ、自分は?と問いを反転させると、自覚したくない身勝手な自分や、日頃は棚に上げて誤魔化していることなどが次々出てきてしんどくなる。しんどくなるけど、その重さと付き合っていくことが必要なのも以前から薄々感じてはいたからこの本を読んでいるわけで・・・。

 

わが身を振り替えると、動物愛護関係にはよく寄付をしていますが、それは、後ろめたいものがあるからでもあります。自分が好きな犬種を子犬の時から育てて一緒に暮らしたいという自分のエゴで、結局はペット産業振興に手を貸す形でわんこを迎えてきたので、その罪滅ぼしにはならないだろうけど、ちょっとでも後ろめたさを小さくしたくて、寄付をしている面があることは自覚しています。

相模原事件の時も、自分は、他の人間に「生きていてもいいかどうかを判断されたくないから」あれはダメだ、とはっきり思ったけれど、だからと言って、重度障碍者のケアに手を貸すかと言われると、おそらく、やらない、です。

身心削られそうだから、関わりたくないな・・・と思っていたりします。正直。

 

勝手だな、と自分でも思うあれこれがこの本を読んでいて浮かんできて、前半はしんどかった・・・。

 

小説「ソラリス」や「銀河鉄道の夜」の話が出てきたあたりは、純粋にエッセイとして楽しめました。

 

新たに現れた知的好奇心の対象は、自分の中で何か引っかかりや違和感があって、何とかしたいとか、正体を知りたいと思っていることと関係があることが殆どです。

そういう意味で、自分を棚上げした状態で学問してもあまり救いにはならない。

著者も同じ考えのようで、評価もされない代わりに、何でも好きに考えていいという自由は、なかなかいいものだとも思いました。

この著者とは気が合いそうなので、他の著作も読んでみたくなりました。

 

〈自分への備忘録〉

自分を棚上げにしない思索は、対象となる「ものごと」の追求と、その物事に立ち向かっているこの「自分自身」の追求の間を、絶えず行き来して、らせん状に思索の輪を深めることが基本となる。

「自分自身」の追求という作業は、自分のことを他者に向かって表現するという「自己表現」の形をとる。・・・自分自身を表現することだけにかまけているのではなく、自分が絡め取られているところの「問題」と正面から対決する。

 

自分を棚上げしない思索、自分のための学問に必要な動機

1.自分の知の可能性を広げることで、自分が生き生きと生きたい。

2.自分がかかえ込んでいる重い問題に対して、自分自身で決着をつけたい。