シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

「自分がしたいことは何か」に影響する”世の中の大きな声たち”

先月始めたアロマテラピーとヨガ。アロマテラピーは以前ハンドマッサージの体験レッスンに行ったことがあり、自分が誰かに施術することにも少し興味があります。調べると、色々な組織があって、資格も色々。

 

じゃあ、今から勉強して、資格を取って、例えば、ボランティアでハンドマッサージをする活動に参加したいの?(お金をいただいて人様に施術できるレベルを目指す気は今はない)

ハンドマッサージボランティアはコロナ以前は高齢者施設などでの活動の場があったらしいです。

何かボランティアをしなくちゃいけないなら、選択肢に上がりますが、本音は?

 

 

人とのつながりを持つことは素晴らしい」「人の役に立つことで自分も自己有用感が持てて心が落ち着く

こういう考えに影響されて、「金銭労働は無理でも、何か人の役に立って、人と繋がれることをやった方がいいんだ」という思い込みが根深くあるな・・・と改めて気づきました。

人に喜んでもらえたら嬉しいのは確かですが、そのためにどれだけリソースを使う気があるんだか・・・。

優先順位が高いことから順にリソース(時間、認知資源、体力、資金など)を投入すると、「人との交流を楽しむための活動を始める」リソースは残っていないことはこの1年何度も自問・確認済みです。

優先順位はこんな感じ:

1.自立生活

自分で着替える、食事をする、金銭管理、必要な支援を求めるなどの”要介護、要支援でない状態を維持する”ために必要なこと

2.主婦業・わんこ飼い主業

専業主婦なので、家事は仕事。手抜きも外注もアリですが、生活を回すのは私担当。わんこに不当な我慢を強いてまでやらなきゃいけないのは、「1.自立生活(生存維持に必要なこと)」くらい。

3.自分の楽しみ、趣味

今は交友(数人しか友達はいませんが・・・)、読書、手芸、アロマ。ちょっとストレッチやセルフマッサージ。

4.実行必須タスク

「急ぎではないが、重要なこと」

断捨離や写真整理をしながら過去を振り返り、本当に”過去のこと”にする作業など。「自分の楽しみ・趣味」とも連動しています。

5.その他

人との交流、社会貢献、1~4で出てこなかったチャレンジ など

 

そもそも、3や4に取り組むリソースが足りないのが大きな理由でパートをやめたくらいなのに、5に投入するリソースはないのが現状。

今は手を広げるより、生活を小さく削っていく時期にしたいと思っているのに、「人とのつながりは素晴らしい」「いくつになっても新しいことに挑戦するのは素敵」「長期間一人で籠っていると、考えも閉塞していくからよくない」などなどの世の声が五月蠅くなります。(私が勝手に感じているだけなのは百も承知)

 

実際に人との交流や社会貢献、はたまた金銭労働で自己実現している人たちは、私とは物事の優先順位が違うだけで、どちらがいい、悪いはないのもよくわかっているのですが・・・。

 

多数派とは違うルートを選ぶとき、自分で勝手に逆風を感じて歩きにくくしているな~と思います。でも、これを気にならない程度に小さくするのは難しいだろうな・・・。

要介護状態になって、まずは少しでも自分で自分の世話ができるように、というのが目下の目標になったとしても、やっぱり、世の多数派の声(と私が思い込んでいること)から何の圧力も感じないでいられるようにはならない気がします。

 

人それぞれ違うところで似た「圧」を感じているのでしょうが、なかなか厄介です。

今は小さくなってきたとはいえ、この「多数派の声」と「親の考え」が同じな件だと、「嘲笑の幻聴」のおまけつきですから・・・。