副題:新しい自分に気づく心のノート
著者はアメリカのスピリチュアルやカウンセリングの著述家で、メソジスト教会教師。
この本は「わたしの知らないわたしへ」の続編だそうです。この本はまだ読んでいません。
内省のつぶやきをまとめた感じで、これまで仏教系の本などで出会ってきた考えや感覚が語られていて、人間共通のものなんだな~と感じました。
自分自身を一部分でも抑えようとするとその分のエネルギーと可能性を抑圧していることになる。
もしなにもやってみないなら、決してなにも学ぶことはない。
「ひとかどの人物」になりたいと言う。そのように言うとき人はきっと本当の自分でいたくないのだ。
達成しなければならないものなんてない。
ただ、していることをする。
どんな困難でも、たいてい誠実さには道をゆずる。
わたしはよく 自分がどう感じているかを見つめることよりも どう感じたいのか、ということにこだわっている。
「どうすれば少しでもよくなるだろう」と思いながら問題に取り組むと欲求不満にならずにすむ。・・・問題は、決して本当に解決することはない。いつも残りものがある。
わたしは、必要でないものを買ってしまう。そして、買ったことを正当化するために、その使い道をさがす。こうしてみると、わたしは、やりたくないことを二度もやっていることになる。
明らかに、わたしの病気の多くは内なる葛藤が表にあらわれたものであり 内なる葛藤を解き放たなければわたしのからだは病んでしまう。
「あの人のこんなところがわるい」と思っていると同じような特徴が、わたしのなかからも引き出される。わたしは相手の「わるい」と思っている部分に支配されているのだ。
外にあるすべてのものは、自己の内にもある。