高次脳機能障害の当事者である著者が、病名・発症経緯、障害の機序が違っても、「共通するお困りごと」があることに気づき、周囲の人や援助職の人たちに、「こういう時はこういう状態なんです。こうしてもらえると助かります」な”トリセツ”を提示している本。
高次脳機能障害って、具体的には知らないな~。ご本人は不自由も多くて大変なんだろうな、とは思うけど、私の理解と想像はそこ止まり。当事者の声や相手に負担にならない対応を知りたいな、と読んでみました。自分もそのうちなるかもしれないし、加齢による脳機能低下の行きつく先と言えなくもないし。
相手がただぼんやり止まってしまったように見えても、相手の心の中では大パニックになっていて、こちらの声掛けも届かなくなっているとか、「なるほどな~」でした。
おそらく脳卒中後遺症で、手指の動きも悪いし、お金の計算が分からないようで、薬代を払うのに延々時間がかかった人がいました。ご本人が、「ここから代金を取って」とも言わないので、黙ってただ待っていたことがありましたが、あれで良かったようです。本人は集中しているのに、外からごちゃごちゃ声をかけると迷惑だったんだな。
その人は時間はかかりましたが、無事に支払いを済ませお帰りになりました。
脳コワさんと言っても、大きなくくりでは同じ人間だから、共通点があるのが当たり前と言えばそうなのですが、ACな自分との付き合いの参考になることがいくつもありました。
当事者にとっての障害とは、以前出来ていたことが出来なくなること、で、一般的な人ができることが出来ない、とは違う。
「苦しいと言わせてもらえないこと、苦しさを否定されること」が二次障害としての鬱につながる。
大失敗の連続にならないよう、小さな失敗をしながら、何ができて、何ができないか自覚し、出来るようにする工夫を重ねていくことが必要。
これ、出来なくなったんだな、ということを受け入れるのには時間がかかる。何度か失敗してみる必要があるから。
脳のリソース(認知資源)の話は、自分の現状理解の助けになりました。
病前は認知資源の総量も一定時間内に使える量も多いので問題がなかったけれど、脳コワさんになってからはどちらも少ないので、突然力尽きて何も頭に入ってこなくなったり、眠くなったりするのだそうです。
私は仕事にかなり多くのリソースを割いてしまっているので、他に優先事項があれば、仕事を減らす・辞めるは必要なんだな~と納得。
著者は脳コワさんになって、ある程度自分の取説を掴んだ今は、認知資源の温存を心掛ける、あれこれやること・考えることがキャパを超えてきたら、戦略的にどれかを諦めることでうまく対応できることが多いそうです。なるほど。
身につまされたのが、急性期の著者は、日中刺激が多く疲れたから眠れるだろう、という日に限って、30分~1時間で目が覚めて、気づいたら過換気呼吸の発作を起こしていたというお話。脳が必死に情報処理をしている感覚があり、認知資源を使い果たして過換気呼吸発作を起こしていたとか。
今のパート先で働き始めて数か月こうでした。発作はありませんが、眠りが浅く、目が覚めると、脳が必死に情報処理をしている感覚がありました。私には刺激過多で、限界超えてたんだな~と再認識。これが咳喘息再発に繋がったんだと思います。
多少の負荷は必要でも、やっぱり病気になるレベルは多すぎです。
著者の援助者への希望は
脳コワさんの辛さを否定しない、傾聴する。
脳コワさんを追い込まない、大きな失敗をしないで済むようサポート(一緒に方法を考えるとか、今あなたはこういう状態ですよ、と説明するとか・・・)。
脳コワさん自身が、自分が何に困っているか、何ができて何ができないか分かっていないことも多いし、分かっていても言語化が苦手だったりすることも知っていて欲しい・・・などなど。
別に、脳コワさん支援に限らないな、程度は違うけど、人間関係全般に言えることだな、と感じました。実行するのにはそれこそリソースが必要で、簡単ではありませんが。
自分が脳コワさんになったら、「こういう時はこう感じる・これが苦しい・これができないので、こういう風に助けて欲しい」と具体的に言う努力が必要だ、ということだけは分かりました。実際に可能かどうかは別にして。