親とは絶縁して維持しているし、そのことに後悔も迷いもなく過ごせています。一つの到達点には達して、後戻りはしていないな、という手ごたえはあるし、これまで頑張った自分をほめたい気持ちや、この件でここまで粘り強く頑張れたんだから、今後何かあっても、時間がかかっても、辛くても、多くのことには何とか折り合いをつけていけるだろうという自信のようなものも芽生えました。大きな成果です。
が、相変わらず、未解決なもやもやの存在の感触もしっかりあります。
一つは、両親は絶縁したと思っていない or 私を以前の奴隷状態に戻したいという希望を捨てていないのが原因です。
親と電話で話し、絶縁したのは2015年6月。
一年後の2016年6月に身内の葬儀で会ったとき、両親は絶縁したと思っていないことを確認しましたが、私にとっての絶縁成立の事実に揺らぎはありませんでした。
その後、年賀状の受け取り拒否をしたら、向こうからも年賀状すら来なくなり、ほっとしていました。
が、姉を通じて自分たちの写真を送り付けてきました。(確認していないので、姉の判断で送ってきた可能性もありますが、これまでの姉との付き合いから、それはないと思っています)己の存在をアピールしたいらしい。
こういうことをされると、向こうの存在自体がうざくてたまりません。
私がここでどう呪ったところで消えてくれるわけでもなし、時間とエネルギーの無駄だということもいやというほど分かってはいます。が、だからといってうざさが和らぐわけでもありません。向こうも無視してくれれば、まぁ、あと10年くらいしたら、多少は嫌な記憶も薄らいで、「骨くらいは拾わないと、やっぱり親なんだし」と思えるかもしれないのに…ちょくちょく存在アピールしてくるので、そのたびに嫌悪感が再燃し、「葬式にも絶対行かない!」決意が新たになるだけです。
もう一つの方が問題で、親と絶縁しても、自分のACな部分はそのままだ、ということ。
最近自分でも「??」だった、知り合いに格下げした元友人をいつまでも切れない・切らないまでも、連絡を取る間隔を大幅に開けることができずにいる問題。
これも、大本は親子関係です。自分が嫌だと思えば思うほど、自分には「関係解消する選択肢」はないと思い込んでいる。
こういう言動には耐えられないし、相手も変わらないだろうと十二分に骨身にしみて理解することと、その相手から離れる行動が結びつかない。
自分がアリジゴクに呑まれつつあり、今ならまだギリギリ脱出できるとわかっているのに、何もせずに沈んでいく自分をぼんやり見ていて、でも、食べられてもいいとあきらめているわけでもなく、嫌だと叫んでいるような・・・精神のバランスが取れている人から見ると、理解不能状態に陥っています。
こういう自分を変えるのは自分にしかできないのも分かっていますが、自分がACだという問題は、一つ和らいだと思うと次が出てくる玉ねぎの皮状態なので、しんどい。
いつまで続くんだろう?
楽になる日が来るんだろうか?
(今でも、多少は楽にはなってはいるけれど)
本当は、生きづらさが減る方向には進んでいないんじゃないか? そんな気すらしてきます。
じゃあ、絶縁成立は間違いないから、親からの害悪は来ないわけだし、ACな自分のしんどい部分は見て見ぬ振りしながら今の自分のままで暮らせばいいよ、と思うことも多々ありますが、結局は、今回のような問題が起きて、「ACな自分をもう少しどうにかしないと、一生しんどいままだ」という現実に引きずり戻されてしまいます。それもしんどい。
現状、こんな感じ。これは、親と絶縁成立だ\(^o^)/ と祝杯を挙げた日から、あまり変わっていません。
それでも何とかしたい気持ちを捨ててはいない自分にOKを出そう。