十分幸せだ、と思う時が増えました。
私の理想の暮らしは、「心穏やかな暮らし」です。
家庭円満、家族の健康、経済的な安定。
親しくしてくれる友人が何人かはいてくれて、やりたいこと・趣味のいくつかでもあれば、尚よし。
細かいことでは不満や改善点はたくさんあります。
夫には家事スキルを身に着けてほしい。日頃はやらなくていいけど、私が病気の時などは、任せられる程度に。
あと3キロ痩せて、顔のシミが減って、髪がもう少し増えたら嬉しい。
今は手指とひざの痛みがなくなってほしい。
わんこももう少し度胸をつけてほしいし、私の手をかむのはやめてほしい。
持ち物は半分に減らして、すっきり暮らしたい。
・・・などなど。
ですが、おおむね、自分の理想通りの暮らしを送っていて、今のままでも十分なんだな、と思うことが増えました。
「自分がどうなりたいか」とか、「自分にとって幸せな状態とは?」と考えるとき、「今は不十分だ。もっと上があるはずだから、そこを目指さなくてはいけない」という前提があることに気づいたことが大きいです。(気づくのが遅い・・・)
こうなると、親子関係でいえば、あの両親が自分たちの言動が悪かったことに気づき、心から反省して、平伏して謝罪してこないと、私にとっては「解決」じゃない・・・(こういうことが起こらないことは、百も承知)
老後資金は2億は用意できる算段が付いてないと安心できないし、
断捨離して、シンプルライフ実践中です!と胸を張っていつでも人を家に呼べる状態でないとだめだし、
夫はいつ主夫になってもいいくらいのスキルを身に着けていないと我慢ならないし、
わんこは無駄吠えし、うれしょんし、怖がってフリーズすることがあるうちはダメ犬ってことに。
仕事にやりがいを見いだせない自分はダメ人間で…
orさっさと「金銭労働」に見切りをつけることもできない優柔不断さは悪だし、
・・・と、永遠に何かしらのほころびが見つかり続けるでしょう。
が、今のままで十分だと思うと、実はそうでした。
そこそこ家庭円満で、家族はそこそこ健康で、今収入が途絶えても、数か月~半年の期限はつくものの、充電しつつ、次の方策を考える時間を確保するくらいの生活費の貯えもある。
今の思考力でなら、何かあっても対応策を探したり、助けを求めたりもできそうな感じがする。。。これは、実際にできるかも大事ですが、何とかできるだろうと思えることの安心感もとても大事。
話(愚痴)を聞いてくれる友人もいるし、ご近所でも、軽い内容なら相談できる人たち(主にわんこ仲間)もいます。
というわけで、「今のままで十分幸せ」なのでした。
こう結論が出ても、やっぱりもう少し痩せたいとか、
部屋の散らかり何とかならんかな~とか、
どうして食費が減らないんだろう?(買いすぎだから)とか思うのは
人間だから、仕方ない(笑)