シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

「自分に正直に今を生きる」のは、私にとってはそう簡単でも単純でもない

年を取ると、こういう風にできることが減るんだな・・・と実例を見ると、「決断するなら今じゃね?」と思う。  でも、なかなか不安と折り合いがつきません。

 

 

 

ご近所には先代犬の時からお付き合いがある、20年来のわんこ仲間がいます。

知り合った頃には今の私の年齢(アラフィフ)だった先輩女性たちも、今はお孫さんのいる70前後です。

びわんこを迎えてから、会ったり話したりする機会も増えました。その中で感じる年月の経過。身も蓋もなく言えば、「老化」を感じます(もちろん、自分自身も)。

70前後だと、考え方や話しぶりに大きな変化はありませんが、

「一定時間内に消化・処理できる情報量がかなり減った」

「身体的な衰えは否定できない(歩き方や速度、仕草などから筋力の衰えや動きのしなやかさの減退が分かる)」

その結果なのか、

「行動に移せることの質と量・考えを拡げる範囲などの減少」を感じずにはいられません。

「人によって違う」とはいえ、10年単位で知っている人で、「いくつになってもパワフルで変わらないわぁ!」という人は残念ながら一人もいません。なので、どちらかというと体力のない私が、この奇跡的な少数派に入る可能性は殆どないです。

 

簡単に言うと、アラフィフの頃は、老親のサポートをしながら、パートで働いて、子供の結婚準備も手伝って、趣味の活動も継続・・・などマルチタスクが出来たけれど、70歳近くなると、こなせるマルチタスクも半減、疲れやすくなりできる仕事量もかなり減少。ご近所の先輩方は、コロナ騒ぎで孫の世話を頼まれ、疲れ切っています。

先輩方を見ていると、徐々に「日常生活を維持管理出来たら御の字」になっていくことを実感します。

 

何かやりたいことがあるなら、アラフィフの今が最後の決断の時期なのかもしれない、と感じます。貴重なリソースを気の進まない仕事に費やしている場合じゃないのかもしれません。

 

パートで再び働き始めてからずっと感じているのは、「専業主婦の時の方が幸福度が高かったな」ということ。

専業主婦バッシングに気がめいったり、老後資金を考えると不安になったり、今後何かあった時に働き始めるのは、今再就職するより更にしんどいよな・・・という思いは、常に付きまとっていましたが・・・。

 

夫にも、「自分もそう思う(年を取るとリソースが減る)から、やりたいことがあるなら仕事は辞めていいんじゃないの」と言われ、一度真面目に考えてみようとおもいました。

 

今の気持ちに従うなら、一度無職に戻って、やりたいことをやってみて、何か違うな~になればまた仕事を探してもいいし、ずっと無職でもいいし・・・だな、とは理解していても、なかなか実行に移せずにいるのでした…。

 

誕生日まで、断捨離やってみたり、パート先で余計な仕事を振られたらバシッと断ってみたりしながら、よく考えよう。

・・・不健康に不安が強く、そのせいで今を犠牲にしてでも先に備えようとする呪いが抜けていないので、決断に時間がかかります。

 

実社会で呪いを否定する体験を積めば、少しずつでも人間に対する恐怖や、生存許可証がなく見捨てられる予感などが和らぐんじゃないかと期待して働き始めましたが、今のところ、効果はないです。

人生折り返し済みなんだから、今のままでも生きていける場所や方法を探す方にシフトチェンジした方がいい気もしています。