シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

百まで生きる覚悟 春日キスヨ著

副題:超長寿時代の「身じまい」の作法

 

自分の老い先が心配なので、時々この手の本を読んでいます。実際にどういうことを考えて備えればいいのかや、年齢と共に衰える思考力・気力の問題なども書かれていて、大変参考になりました。

 

それと同時に、私の親は絶縁されていても子供に丸投げする気満々だろうな、という妄想を裏付けるような話がてんこ盛りでした。また、そうならざるを得ない理由も言語化されていて、今後自分の身の振り方を考えるとき、こういう部分の制度がどうなっていくか注意しておこう、と整理できました。

 

大正期生まれの高齢者(90代以上)は、子世代に世話をしてもらえる人が多いが、それより下の昭和期生まれは本人たちも「子供の世話にはなれない・なりたくない、世話を頼める人がいない」場合が多い。が、実際には支援が必要になった時のことを具体的に考えている人は少ない。

具体的に考えている人でも、地域包括支援センターに相談に行っても、「実際に支援が必要になってから来てください」だったり、身元保証や金銭管理などで安心して利用できる制度がなかったり(任意成年後見制度はありますが)、制度面の不備に阻まれている部分もある。

実際に高齢者(親)の介護や支援をした経験がなく、身近に在宅で支援を受けながら生活している先輩との接触がない・少ないと、ロールモデルも将来の自分の姿のイメージもなく、考えなくてはいけないという切迫感もないし、考えようとしても「何とかなる」になってしまう人が多いのでは?という著者の推測には大いに同意します。

 

私の両親は、自分の親の世話はきょうだいに丸投げだったので、実際に病院や施設を探す大変さや、手続きの手間、お金の心配などは分かっていません。

身近で見ていないので、どういう風に衰えて、要支援⇒要介護になっていくかのイメージも薄いように思います。(現時点ではどうか分かりませんが)

私は医療関係の隅に身を置いているので、「自分はよく分かっていない」「何とかなると手立てをしないでいると、悲惨な野垂れ死にか高齢者虐待・搾取に合うリスクが高い」位は感じることができているので、これを自分の将来の備えに生かしたいです。

 

要介護になった時に、「配偶者が何とかしてくれるだろう」と当てにできなくなるのはお互いに衰える70代以降とすると、まだ20年ほどあるので、今あるサービスはこんな感じ、とざっくり知っていれば十分かな、と思います。どんどん制度が変わるので。

ただ、身元保証と金銭管理については、制度を作って欲しいと切実に思います。他の多くのことは、事前の備えや人を雇うことでクリアできても、この二つは難しい。

超高齢者のお一人さまが増えることが追い風になって制度が出来ると信じたい(笑)

 

長生きする可能性も覚悟しなくちゃいけないんだな、とこの本を読んで改めて思いました。2017年時点で、女性の半分が90歳まで生き、25%が95歳まで生きるそうです。私が90代になるころには、女性の半分は95歳、25%は100歳になっているかも・・・。(正直勘弁してほしいです)

現在死亡者数が一番多いのは、男性87歳、女性92歳。厳しい数字がいっぱい出てきました。

 

元気長寿者は、健康と気力両方が揃っていてこその「元気」で、やりがいのある日常のルーティン(仕事・役目・娯楽など)があることが多い。その元気長寿者が老いを感じるのは、体力の衰えと日常習慣の喪失の二つの側面があるそうです。

 

元気に老いることと、出来る備えをその都度やっていくことがサバイバルの両輪だな、と確認しました。

 

この本で励まされたのが、引用されていた三木清氏のことば

未来はつねに現在によってつくられていくということを忘れてはいけない。それは人間も同じことだ。現在の自分こそ未来の自分なのだ。別の表現をとれば、現在の自分の生き方こそ、未来の自分の生き方でもある。なぜなら人間は、現在の自分の姿に似せて、未来の自分をつくっていくという性格をもっているからだ。

今の私は、「私はどう感じているんだろう?どうしたいんだろう?それはなぜ?」と考えることが多いし、課題はそれとしてなかったことにはせずに、様子を見ながら寝かせておくことも覚えつつあるし、制度を調べてアクセスすることにあまり抵抗はないし、老い先のことは「何もしなければどうにもならない」と思っているから、この言葉通りなら、何とかなるかな、と思えました。

そうだといいのですが・・・。

 

虐待や見捨てられは子供の時の体験で十分です。

老齢期は穏やかな気持ちで過ごして、「悪くない人生だった」と思って逝きたい。