シンプルライフへの遠い道

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児童期に安心できた人

とあるトラウマ関連本で、カウンセリングもしている著者は「児童期に安心できた人は?」と聞いてみるとありました。

自問しても、誰一人思い浮かばない・・・。

親は論外として、近所の人、学校や習い事の先生、親戚・・・きょうだいや友達、先輩を思い浮かべても、「そうだ、あの人は‥」とはなりませんでした。

 

夫に聞くと、「そんなのいない」

本では、安心できた人、信頼出来た人がいたら、その時の記憶を核に、人への信頼を再獲得する足掛かりにできるとありました。

ない人はどうすれはいいの?(・・・動物とのかかわりが挙げられていました。)

 

同僚一人に聞いてみたら、すぐに小・中学生時代の親友や親が病気だった間世話をしてくれた叔母さんなどが挙がりました。

 

多くの人は、幼少期~児童期に安心できる人との出会いや交流があって、人間への信頼・安心を育てるんだな。

どう考えても、自分にはそれが出てきません。

すごく慕っていた小学校の先生もいたけど、じゃあ、側にいて安心だったか?と言われると、違う。一生徒としてかわいがってもらっていたし、裏切られたと思った記憶もないのですが、安心はしていませんでした。人といて心から安らいだことなどないです。

う~ん、人といて安心という感覚が分からない。逆に信頼できない、いつ攻撃されるか分からないと常に警戒しているのか?と言われると違うのですが・・・人に対して、思い当たる理由もなく、急に見捨てられ自分が苦しみぬいて死ぬ羽目になるという予感めいたものは常にあるかも。

そういう意味では、夫や親しい友人も遠くの存在です。

 

動物相手だと、安心だったな~、今もそうだな~と思います。

自分のわんこはもちろん、10日ほど預かった友人のわんこにも一緒にいて安心感があったし、その辺の野良ネコちゃんと目が合った時の方が、私に対してニュートラルに存在している他人と同じ場所にいる時より緊張がなく、安らぐ感覚があります。

上手く言葉にできませんが、人以外の生き物は自分と同じ世界線のルールや理の中で生きている仲間と感じられるけど、人は別の世界線の生き物のように感じているようです。

 

この辺の感覚のずれが私の生きづらさの一因なのは間違いない。

いくら人は基本優しくて、敵ではないと経験を積んでも、別の世界線にある私の感覚に働きかけてはこない感じです。

 

自分の感覚と現実が2層構造になっていることは自分でもはっきり知覚していて、その違和感も、居心地の悪さや安心感が持てない原因になっています。知覚できても、今のところ修正不能です。

 

この違和感を修正できるのか、出来るならどうすればいいのかが知りたいです。

トラウマ関係本を読んでも、この二層構造についての解説には今のところ出会えていません。多分、世の中には私と似た違和感を抱えて困っている人は要ると思うのですが・・・。

幸い動物といると安らぐから、わんこといよう(笑)