先日、姉からデータが送られてきて、3年ぶりに親の顔を見ました。
それでまた親のことをあれこれ思い出してしまったのですが、
何が一番嫌だったのか
何が絶縁決断の決定打だったのか
何を許せないのか
つらつら考えています。これまでも幾度となく、考えてきたことです。
嫌だったことはあり過ぎて、書き連ねたら1冊の本になりそうです。
それでも親に愛されていたと思いたかった自分の望みを容赦なく打ち砕いたのは、(記憶があやふやですが)その時点で少なくとも半年以上微熱やだるさなどの原因不明の体調不良がまだ治っていないと知った親が、電話口で大喜びであざ笑った時。(調子がずっと悪く、あちこち病院にも行ったけど原因が分からず困っているのは親も知っていた。)
ブログでも何度も書きましたが、父親は日ごろは電話連絡は母親に任せて電話口に出ることはないのに、母親の言葉から私の体調不良を知って、わざわざ電話に出てきました。
で、大喜びで、「なぁ~んね、お前は!」とあざ笑いました。
あの時程、父親が私絡みのことで喜んでいるのを聞いたことがありません。
あの時の優越感と幸福に浸っている父親の声のトーンや口調は今でもそのまま蘇ります。
母親も、「まぁ~だ治らんとね!」とうきうきした呆れ口調で嘲り、日常生活にも支障が出ていると話しているのに、「温泉旅行ぐらい行けるんでしょ。(=大したことないでしょ、私の要求通り、会いに来い)」と自分の都合だけ。
”相手の幸福と安寧を願う”形で「愛している相手」が原因不明の体調不良で苦しんでいると知って、歓び、嘲ることはない。はず。
少なくとも、私が探していた「親の愛」じゃない。
上から目線の説教や決めつけも、子供を思う気持ちが変形したものと無理矢理解釈しようとしていたけど、そういう嘘はもう使えなくなりました。
あの事件のおかげで、「もうだめだ」を維持できていますが、
あの事件を思い出す度に、「自分をこの世に生み出した存在にすら大事に思われていなかったんだ」という現実を突きつけられて、哀しくなるのでした。
なので、他の誰に大事に世話をしてもらってもいいけど、私にはとことん嫌われたことだけは認識してから逝けと思う自分を赦しています。
そのくらい、思っていい。