シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

”ひねくれた自己否定“は健在

仕事で思ったこと。

 

相変わらずひねくれた自己否定感たっぷりで、減ってないな~。

こりゃ、生きづらくても自業自得の思考回路だわ。

                      でも、打つ手なし

 

 

近くの病院がお盆休みでお客さんが少なかったので、前回は店長指示で、薬局製剤をやりました。他の人は在庫チェックを中心にやっていました。

私に薬局製剤を指示した理由は、

・以前やったことがあり、その時問題なくできた=教える手間が省ける

・本人が、この仕事が好きだと言っていた=適材

           だったと推測しています(多分、当たっている)。

こういう仕事は苦手とか、嫌だという人も多いです。(店長も好きではないらしい)

 

なのに、最初に自動思考で形になったのは、

「私は在庫チェックをさせるには能力不足だから、違う仕事をあてがわれた」

違うだろ、自分。と、自分でも即座に突っ込みの出るこの歪んだ”いじけ思考”は何なのだ。

 

 

昨日は、いつもの施設入所者さんの薬のチェック。

今後は店長が施設に持って行くことになり、店長は私がチェックした薬の最終チェックをするとスムーズらしく、私にやるようよく指示します。

この件は、自分でも他の人がやったものを見て、「確かに誰がやっても同じじゃないな」と体験済み。この仕事も好きだから、断る理由も(権限も)ないし、素直にやればいいだけなのですが・・・

昨日は近隣病院のお盆休み明けで患者さんが多めだったけど、「あなたはとにかくこの仕事に集中して」と言われ、接客はせずに、裏で作業していました。

 

この時に最初に浮かんだのは、

「忙しい日の店頭業務に私が加わると迷惑なんだ」

正解は、午前中に私がチェックした薬を、午後店長が最終チェック&準備して、明日施設に持って行くタイトなスケジュールだから、午前中に私がチェックを終えられないと困るから、集中できるようにしてくれた。

 

あぁ~、いつまで経っても、もともとの大前提が、「自分はダメだ、無能だ、いるだけで迷惑」なのが減ってない・・・。

 

そのくせ、多少は役に立つと思われたいとか、仲間扱いされたいとか-承認欲求・所属欲求はしっかりあるのです。

 

 

 

どうすれば、こういう思考回路が弱くなるのか、全く分かりません。

 

「他人が苦手」は、実生活で「大丈夫な他人は大勢いる。ほとんどの人は基本的に優しくて親切」を経験して、少しずつ書きかえればいい、と理屈は分かっています。やってみて、少しは改善しているかな?と思う時もあります。

 

「自分は無能」とか、「排除される」って…

実際に、自分の能力が低すぎて「役立たずは消えてください」になったことは一度しかなく(最初に入った会社の最初の部署)、子供の頃の刷り込み以外の何物でもないんですよね…。

親だけでなく、きょうだいや近所の遊び仲間にもさんざん言われたので、自分は能力が低く、いるだけで他人の足を引っ張るお邪魔虫なんだ、という感覚が遺伝子にまで刻まれているのかもしれません。

 

新手の遺伝子治療で、この思考回路を書き換えられたらいいのに。